川久保玲の愛弟子、「渡辺淳弥」の圧倒的な個性と才能
世界でも絶大な人気を誇る日本三大デザイナー「三宅一生」「山本耀司」「川久保玲」。そして彼らにつぐ次世代日本人デザイナーとして「渡辺淳弥」もまた世界中で注目を集めているデザイナーの一人です。渡辺淳弥は自身の名を冠するブランド「JUNYA WATANABE」のデザイナーですが、川久保 玲の愛弟子としても有名です。先鋭的なデザインアプローチ方法はファッション業界が衝撃を受けるほどで、世界的なファッションブランドとしての地位を確立させています。
そんな世界中から注目を浴び続ける渡辺淳弥のものづくりの背景とは?この記事では、渡辺淳弥がデザイナーとしてのデビューした経歴や人物像をはじめ、服がもつ概念を変える独特な発想力や功績について解説していきます!
川久保 玲との出会い
1961年、福島生まれ。名だたるデザイナーを輩出した文化服装学院を卒業し、日本の最高峰モードブランドへと足を踏み入れます。
出典 purple.fr
COMME des GARCONSへ入社
1984年に入社したCOMME des GARCONS。これは渡辺淳弥氏にとって、自身のデザインセンスのベースとなる大きな選択となります。文化服装学院を卒業した彼ですが、そこで学んだ技術面や服への考え方はCOMME des GARCONSではあまり意味をなさなかったとインタビューで答えています。そのくらい常識から外れたクリエイティブなスキルや一般のアパレルメーカーとは違った働き方を求められる現場を、若くから痛感していました。
COMME des GARCONSへパタンナーとして入社した彼ですが、創業者である川久保怜氏と接触する機会はほとんど無かったと言います。デザイナーと対をなして働くというよりも、パタンナー自身もデザイン面の一部に関与をしていました。ただひたすらに机に向かって線を引くというパターンメイキングではなく、「絵型を試行錯誤してパターンを作る」という独特な形態で作業が進められていたのです。
1987年には後の「TAO」であるToricot COMME des GARCONSのニットウェア部門のチーフデザイナーに就任。着実に経験とスキルを積んでいきます。入社してから約8年間にも渡り、川久保怜氏の弟子として携わります。
JUNYA WATANABE COMME des GARCONSのデビュー
そんな中、渡辺淳弥氏に転機が訪れます。1992年に自身の名を冠した「JUNYA WATANABE COMME des GARCONS」をスタートさせました。創業者の名前でさえブランド名になることはなかった訳ですが、これは「今までとは違う新しい形のCOMME des GARCONSが展開された」と捉えることができます。
ブランドの初コレクションは同年の東京。両国駅のコンコースで披露されました。その翌年1993年には世界4大ファッションショーに数えられるパリコレクションに参加。結果、COMME des GARCONSから独立した新進気鋭なブランドとして、その名前を世界中に知らしめることとなります。
日本のファッション関係の雑誌や新聞などのメディア編集者が中心となって作られた団体「日本ファッション・エディターズ・クラブ」のデザイナー賞を1995年に受賞。過去には師匠である川久保怜氏も同団体から賞を受け取っています。
賞はそれだけでなく、毎日新聞社が創刊110年を記念して創設した「毎日ファッション大賞」で1999年に大賞を受賞。こちらも第1回目と6回目に川久保怜氏が大賞をもらっており、彼女の独創的なデザインセンスはしっかり弟子へと受け継がれていると言えます。
数多の功績
自身のブランド設立から約10年もの時が経とうとしている2001年に、メンズラインである「JUNYA WATANABE COMME des GARCONS MAN」をスタート。初コレクションはパリにて行われました。2002年FWから自身のブランドに加え、COMME des GARCONS HOMMEのデザインも手掛けることになります。そのため以前から担当していたToricot COMME des GARCONSは栗原たお氏に一任されることになりました。
2003〜2005年FWにかけてレディースラインの「COMME des GARCONS JUNYA WATANABE MAN PINK」を展開。リリースに関しては日本国内のみに限られていました。いつしか川久保怜氏と二人三脚で会社を担う存在にまでなっていた渡辺淳弥氏は、2005年より株式会社COMME des GARCONS取締役副社長に就任します。もちろんデザイナーとしての活動は止まることなく、同年に「eye COMME des GARCONS JUNYA WATANABE MAN」をスタート。
2009年には5つ目のブランドとなる「JUNYA WATANABE MAN bis」を発足。2012年からは全面的にCOMME des GARCONS HOMMEを担当することになります。
2022年SSからブランド名を「JUNYA WATANABE」に。それに付随して、JUNYA WATANABEに関連するブランドはCOMME des GARCONS を外したブランド名へと変更されました。
渡辺淳弥の手腕
独創的なデザインは様々な人物に影響を与え、彼の元で経験を積んだアシスタントたちは世界的なデザイナーへと成長していきました。またコラボレーションで見せるブランド同士の新しい調和には、世界中のファッショニスタすらも注目するほど。そんな渡辺淳弥氏のものづくりを掘り下げていきます。
出典 officemagazine.net
デザイナーからの影響
渡辺淳弥氏は影響を受けたデザイナーとしてピエール・カルダンや三宅一生氏を挙げています。特にISSEY MIYAKEには「それまでの常識を覆した作品」に衝撃を受けたと語っています。三宅一生氏以前のデザイナーたちは身体のラインを拾うようなウェアを発表していました。ですが彼がコレクションで発表したのは、それらトレンドを覆すワイドで斬新なデザイン。
何か新しいものを生み出すには今までの定石通りではいけない。そのことをたまたまファッション雑誌で目にした渡辺淳弥氏は「自分もこれまでとは違う服を作り出したいと思った」と、インタビューで語っています。
そしてもう1人、彼に影響を与えた人物として外せないのが川久保怜氏。1984年にCOMME des GARCONSへ入社してから長年、彼女のクリエイティブ力を間近で目にしてきました。専門学校で学んだテキスト通りのものなんかではく、個性的でアバンギャルドなものづくりは彼に大きな影響を与えます。JUNYA WATANABEで見られる固定観念を壊すようなデザインは、アンチモードを代名詞とするCOMME des GARCONSから継承された世界観と言えます。
もちろん両者の違いとして、彼なりの個性はきちんと表現されています。それは「異端×常識」でアイテムが構成されているということ。奇抜な見た目ながらも、実用的でファッションのルールにはしっかりと沿ったものづくりがされています。
だからこそCOMME des GARCONS内で、どちらのブランドもテイストが重なるということはなく「ブランドが独立する」形で差別化が図られているのです。また、デザイナーを志したきっかけは?という質問の際、きっかけに関してこれと言った理由は無かったようで、洋装店を営んでいた母親の影響かも知れないと答えています。
「ものづくり」
コレクションを作るにあたって、まずは自分が興味の持てるアイデアを探すことから始める渡辺淳弥氏。そのアイデアを一度形にするべく、模造紙でイメージを具現化します。断片的なイメージであってもとりあえず形にすることで想像がつきやすく、そのアイデアについてじっくり検討することができると言います。
また彼は「ファッション」や「服」というワードはあまり使いません。彼の捉え方として「それらは何か新しいものを生み出す手段やものにしか過ぎない」というのがあります。新しいことをクリエイションするために、ファッションや服を通して目新しいもの表現する。そこに魅力を感じ、そして新しいものを常に作り続けることが彼の目標でもあります。
「ものづくり」というワードは渡辺淳弥氏が自身の作品について語る際頻繁に用いられます。「ものを作る職人」よりも「ものを作ること自体」に重きが置かれる言葉。その言葉通り、彼はインタビューを受けることはあまりなく、ファッションショー最後のフィナーレの挨拶にも姿を現しません。それが彼のものづくりにおける軸であり、美学なのです。ここで渡辺淳弥氏が現在手掛けているラインをご紹介します。
ライン | 特徴 |
---|---|
JUNYA WATANABE | COMME des GARCONSのエッセンスは残しながらも、独自の世界観を持って独立されたライン。ブランドのアイコンとなるデザインはずばり「パッチワーク」。普遍的なアイテムもカジュアルかつスペシャルなテイストで仕上がります。 |
JUNYA WATANABE MAN | メインラインはレディースですが、こちらはその名の通りメンズライン。パッチワークデザインはもちろん、さまざまなブランドとコラボすることでも有名です。 |
COMME des GARCONS HOMME | 2012年から全面的にデザインを担当。1978年にスタートし、COMME des GARCONSのメンズラインでは1番長い歴史があります。過去のデザイナーは創業者である川久保怜氏とエンジニアの経歴をバックボーンに持つ田中啓一氏。両時期にデザインされたウェアは今でも名品とされています。 |
eYe JUNYA WATANABE MAN | 渡辺淳弥氏の目から見て「本当に着たいもの」という意味を込めて付け加えられた「eYe」は、JUNYA WATANABE MANのセカンドライン的な立ち位置。メインラインのニュアンスやスタイルを補完するようなテイストでデザインされており、比較的シンプルでニュートラルなウェアが特徴です。 |
幅広いコラボレーション
今でこそ一般的にも普及した、ブランドとのコラボレーションを指す「ダブルネーム」。その立役者となったのがJUNYA WATANABEです。コレクションにコラボしたウェアを登場させるといった手法の先駆けとなりました。
ジャンルを問わない幅広いコラボは誰もが知っている老舗ブランドから、時代の先をいく新進気鋭なブランドまで。中でも「LEVI’S」とのコラボは1番歴史が古く、ブランドのファーストコレクションでも披露されていました。
アウトドアウェアをストリートなテイストで着こなすのがホットな昨今、「THE NORTH FACE」や「KARRIMOR」、「NANGA」とのコラボも注目されています。リバイバルブームを巻き起こした「Supreme」「STUSSY」「CARHARTT」や「NEW BALANCE」とのコラボもファッショニスタの関心を集めました。
メンズライン「JUNYA WATANABE MAN」に自身のレディースライン「JUNYA WATANABE」を組み合わせた異例のコラボは、渡辺淳弥氏ならではの裁量と言えます。カジュアルでストリートなコラボが目立つ反面、トラッドな「BROOKS BROTHERS」ともコラボしており、隙のないダブルネームを網羅しています。
また独立したコラボラインも登場。2004年に発表された「MONCLER」とのライン「MONCLER JUNYA WATANABE COMME des GARCONS」。それに加えて、高級メゾン「LOEWE」と「Loewe and JUNYA WATANABE COMME des GARCONS」を2013年に立ち上げています。
JUNYA WATANABE出身のデザイナー
JUNYA WATANABEを立ち上げの際、ニットデザインを担当していたのが、のちに「sacai」を発表する阿部千歳氏。日常の延長線上をテーマとするウェアはユニークなものが多く、異素材を組み合わせたデザインや斬新なシルエットは世界中から人気を集めます。
阿部千歳氏の人物像を紐解いた記事は下記からご覧いただけます。
そしてもう1人、ブランドを支えていたのが阿部潤一氏。阿部千歳氏の旦那でもある彼は、のちに自身のブランド「kolor」立ち上げます。ベーシックなアイテムを基調としながらも、独特なバランス感覚で素材や色彩を組み合わせたデザインが特徴のブランド。
2004年からJUNYA WATANABEでパタンナーを務めていたのが丸龍文人氏。彼も渡辺淳弥氏と同様に自身の名を冠した「GARYU」をCOMME des GARCONSで立ち上げます。
社内において、最年少でデザイナーまで登り詰めた彼の経歴は下記からご覧いただけます。
Torico COMME des GARCONS時代から渡辺淳弥氏のもとで経験を積んでいた栗原たお氏。2002年から彼女がブランドを引き継ぎ、その後は「TAO COMME des GARCONS」として2005年FWパリファッションショーでコレクションデビューをしています。2022年SSからはブランド名をTAOに変更。アバンギャルドなCOMME des GARCONSに比べるとシンプルで装飾もベーシックなものが多いのが特徴です。
海外人気も絶大
海外の著名なセレブからも人気を誇るJUNYA WATANABE。カニエ・ウェストが2021年にリリースしたアルバム「Donda」の中に「Junya」という楽曲があります。タイトルにある通りこれは渡辺淳弥氏のことであり、カニエ自身が愛着を寄せる日本人デザイナーのことを歌っています。サビでは「俺の腕にWATANABE JUNYA」と、非常に印象的なフックを残しています。
2022年、JUNYA WATANABE MANのデジタルショーではジャミロクワイの「Virtual Insanity」をオマージュした映像を公開。モデルたちが民族柄のウェアを装い、ジェイ・ケイのようにダンスするビデオは必見です。「ジャムセッション」とネイティブアメリカンの先住民族「イロコイ族」を合わせた造語であるジャミロクワイ。そして今回のモチーフである伝統的な民族柄を用いたデザイン。一見なんの接点も無さそうに見える両者ですが、実はお互いに合致したテーマの元に完成された作品なのです。
出典 rollingstone.com
2024年SSパリで行われたファッションショーではLOUIS VITTONのクリエイティブ・デザイナーを務めるファレル・ウィリアムスの姿が。彼は以前来日した際、JUNYA WATANABE MANのパッチワークデニムを購入するほどのファン。
次世代のファッションを担う人物からも熱い注目を浴びているのです。
まとめ
最後までお読みいただきありがとうございました。ものを作ることに重きをおいた「ものづくり」には渡辺淳弥氏の全てが詰まっています。COMME des GARCONSイズムは感じさせながら、自身のセンスも好バランスで織り込むデザインは圧巻です。ファッションや服というカテゴリーに収まらない、新しいものをいかにして作るのか。そして常に新しいものを作ることを目標としているJUNYA WATANABEが、次のシーズンで発表するコレクションに注目です!
また、モードスケープでは、JUNYA WATANABEのアイテムのお買取りを強化しております。 買い換えのタイミングやサイズの変化によって合わなくなることなどもあるかと思います。そんな時に、モードスケープにご相談していただければ全力でお力になります。 古いモデルやクリーニングやお直しが必要なものでも可能な限り良いお値段をおつけできるように吟味しながらお買取りしております。汚れやダメージがあるものでも、リペアを施して販売することも可能ですので一度ご相談ください。とりあえず値段だけ聞いて検討したいという場合は、LINE査定などで査定額を見積もることも可能です。お気軽にご相談ください。
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モードスケープではJUNYA WATANABEの買取を強化しています。お買い取りをご検討の際は、お気軽にご相談ください。
JUNYA WATANABEの買取について
この記事を書いた人
小川剛司 (MODESCAPE 編集部)
ライター・ファッションモデル。学生時代のアルバイトからファッションの世界へ。大手セレクトショップの販売員、ECスタッフを経て、長年携わったアパレルの経験と知識を活かしWEBライターに。数々のファッションマガジンサイトで執筆を行い、メンズ・レディース問わずおしゃれを発信しています。現在は韓国を拠点にモデル活動しており、更なるファッション知識を探求中! Instagram:@t_t_k_k_s_s