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世界屈指のコレクターでもあるデザイナー「アードリアン・アピオラッザ」

2024年4月17日

世界屈指のコレクターでもあるデザイナー「アードリアン・アピオラッザ」

世界屈指のコレクターでもあるデザイナー「アードリアン・アピオラッザ」

近年アーカイブアイテムがクローズアップされていますが、世界には想像を絶するコレクターが存在します。その中の一人が「アードリアン・アピオラッザ」。世界屈指のMaison Margielaのコレクターとしての一面を持ち、さらにはファッション界でもChloeやLOUIS VUITTON、現在ではMOSCHINOなど数々のブランドデザイナーとしても活躍されている人物です。
そんなアードリアン・アピオラッザが熱狂的なコレクターとなったのは、一体どんなきっかけがあったのでしょうか?この記事では、ファッション界でも活躍されるアピオラッザ氏の生い立ちや経歴を振り返りながら、アーカイブコレクターとしての顔にも迫っていきます。

アードリアン・アピオラッザとは?

LOUIS VUITTONやmiu miu、LOEWEなど名だたる大手メゾンで、デザイナーとしてキャリアを積んできたアードリアン・アピオラッザ。類稀なるその才能はどのようにして培われてきたのか。そんな彼を紐解いていきます。

母国アルゼンチンからイギリスへ

アードリアン・アピオラッザ
出典 voguebusiness.com

「アードリアン・アピオラッザ」は1972年、アルゼンチンで生まれました。 今でこそファッション業界で様々なキャリアを持ち、大手メゾンでデザイナーとして働いてきた彼でしたが、昔からファッションに興味があった訳ではなかったと言います。

実はファッションよりもバンドミュージックに没頭していて、当時のアルゼンチンでは手に入り辛かった外国のレコードやテープ、音楽雑誌などを航空会社で勤めていた友人の父親から譲り受けていたそう。それほど夢中になる趣味だったので、音楽は彼を表現する1つのツールとなっていました。当時内気だった自分に音楽を重ねて「どうやって自分を表現できるか」ということを考えていたそうです。

学校では建築の分野について学び、21歳になる頃にはイギリスへ移住します。これもファッションを勉強するためではなくイギリス音楽への情熱であり、マンチェスターの音楽カルチャーを肌で感じるためでした。

家も仕事も何も決まっていない中、イギリスへ渡英し、唯一DJとして働いている友人に連絡。友人宅に泊めてもらえることになり、それから生活費を稼ぐためにナイトクラブでのビラ配りのアルバイトを始めます。そこでは憧れのロックスターと出会える機会が多くあったようで、イギリスを代表するバンド「Suede」のブレッド・アンダーソンも訪れていたそう。

その後もクラブのダンサーやキッチンの掃除、レストランなど仕事を転々と変えながらイギリスでの生活を続けていました。様々な交友関係を持つ中でファッションの分野に関心が湧き、多くの有名デザイナーたちを輩出している名門セントマーチン大学へ入学することを決意します。

20代前半にイギリスへの移住を決意したことを振り返ったアピオラッザ氏は「イギリス音楽は、慣れ親しんだ地元から自分を人生の中心へと連れて行ってくれるきっかけだった」と述べ、イギリス音楽(特にマンチェスター)が繁栄していた数年間は「今までにない自分自身を表現できる別の世界」を想像させてくれたとインタビューで語っています。

ファッション界での経歴

長年デザイナーとして、大手メゾンで働いてきた経歴を持つアピオラッザ氏。その実績は目に見張るものがあります。すべての始まりはセントマーチン大学へ入学したことからでした。 アルバイトで蓄えたお金をつぎ込み、ポートフォリオを作成するコースを受講します。デザイナーの卵として学業をこなす傍ら、「Alexander McQUEEN」のスタジオが出していた求人に応募。自身のポートフォリオを持ち込み面接を受けました。

この頃からファッションデザイナーとしての異彩は発揮されており、在学中にも関わらずスタジオでアシスタント・デザイナーとして働くことになります。スタジオの仕事を続けていく中でAlexander McQUEENへの正式な採用の話も出ていましたが「まずはしっかりと学校を卒業して資格を取ること」を優先していたため断ったと言います。彼いわくこの選択にはアルゼンチンの国民性が出ているらしく、堅実な性格なのが伺えます。またアシスタントの仕事だけでなく、学費を稼ぐためにバーのアルバイトを掛け持ちするほど夢に対して真摯な姿勢を見せていました。

モスキーノ
出典 nytimes.com

そんな彼の才能や仕事への姿勢を見たアレクサンダー・マックイーンのアシスタントだったセバスチャン・ポンスはミゲル・アドローバーにアピオラッザ氏を紹介。数年後、実際に彼の元でデザイナーとして働くこととなります。

2002年に卒業コレクションとして、自身の生まれた国アルゼンチンのガウチョ文化にインスパイアを受けたコレクションを発表。その作品が「ベスト・ウィメンズウェア・コレクション賞」を受賞したことをきっかけに、フィービー・ファイロがクリエイティブ・デザイナーを務めていた「Chloe」から声がかかります。

そこからオートクチュールのキャリアがスタート。2006年「miu miu」でミウッチャ・プラダの下で働きます。

4年間勤めた後、2010年に「LOUIS VUITTON」へ移籍。マーク・ジェイコブスのシニアデザイナーとして大手メゾンの元で経験を積みます。

2012年にはもう一度Chloeへ戻り、今度はクレア・ワイト・ケラーの下でデザイン・ディレクターを務めます。

そして2014年「LOEWE」ではプレタポルテのデザイン・ディレクターを10年もの間担当しました。

クリエイティブなビジョン

2024年には新しく「MOSCHINO」のクリエイティブ・ディレクターに抜擢。就任したのが1月11日で、ミラノで行われる初コレクションは2月22日。就任からコレクション発表まで約1ヶ月というこの非常に短いスパンには、悲しい事情がありました。

前任されていた「ダヴィデ・レンネ」が急逝してしまったためです。それはクリエイティブ・ディレクター就任からわずか10日ほど経ったときのことでした。彼自身20年にも渡る「GUCCI」でのキャリアがあり、MOSCHINOへ移籍する直前にはウィメンズのヘッドデザイナーを務めていました。そんな彼と同等の実績を持つデザイナーとして、名前が上がったのがアピオラッザ氏だったのです。

クリエイティブなビジョン
出典 grazia.sg

先日行われたミラノでの初コレクションではスマイリーフェイスデザイン、モノトーンのツイード、1985年に初めて発表されたクラウドプリントなど、MOSCHINOのアイコニックなデザインが見られ、クリエイティブながらもオリジナルを尊重したルックとなっています。

LOEWEに在籍していた2014年頃にはLOEWEの現クリエイティブ・デザイナーのジョナサン・アンダーソンと協力し、2023年SSに発表されたアンスリウムコレクションを制作しました。アンスリウムとは美しい発色が魅力の観葉植物で、和名では「大紅団扇」。その名の通り、扇状の大きな花がドレスとなったユニークなデザインをしています。

また世界的アーティスト「ビヨンセ」のルネサンスツアーで披露されるワードローブも制作。錚々たるブランドが名を連ね、そのブランド毎にオートクチュールで作られるステージ衣装はどれも圧巻。

アピオラッザ氏がLOEWE在籍時に発表したのは彫刻やだまし絵、そして身体の錯覚を利用したクリエイティブさ溢れる衣装で、ステージパフォーマンスを煌びやかに彩りました。

情熱的なアーカイブコレクター

ファッション業界で屈指のアーカイブコレクターとして知られるアピオラッザ氏。そのアーカイブには「Comme des Garcons」、「Yohji Yamamoto」といった日本のブランドをはじめ、「HELMUT LANG」や貴重な初期の「Maison Margiela」などがあります。自身のコレクションしたアイテムは1000点以上にもなり、現在ではパートナーと共にその自慢のアーカイブをリースする事業も行っています。

ビンテージアーカイブとの出会い

アピオラッザ氏がビンテージアイテムを集めるきっかけとなったのが、彼が10代の頃に出会った日本のモードブランド「Comme des Garcons」のシャツ。Comme des Garconsは1969年に創業し、1981年には初めてパリコレクションを行いました。そしてその翌年にはパリで直営店を展開するほど世界進出していましたが、当時のアルゼンチンではまだまだ無名な存在。

ですが友人からプレゼントされたそのシャツを見た瞬間、衝撃が走ったと言います。従来の構成とは違った複雑なデザインはとても斬新で、Comme des Garconsは彼を夢中にさせました。1980年代初頭の「黒の衝撃」「HIROSHIMA Chic」時期のコレクションは彼が持つ中でも貴重なアーカイブで、脱構築を演出した穴やほつれは当時のムードを醸し出しています。

Body Meets Dress, Dress Meets Body
出典 anothermag.com

アピオラッザ氏はComme des Garconsのデザインには常に驚きがあり、気取らない芸術性を感じさせてくれることが大好きだと語り、ファッション業界で長年生き抜いてた歴史あるルーツに敬意を示しています。そして今でもなお、彼にとってお気に入りのブランドの1つとなっています。

また音楽やファッション、カルチャーを扱う雑誌「THE FACE」に掲載されていた「Yohji Yamamoto」にも影響を受けており、今日に至るまで色々なデザイナーの過去に発表したアーカイブを買い集めています。

現在クリエイティブ・ディレクターに就任しているMOSCHINOのアーカイブももちろん所持していて、創業者であるフランコ・モスキーノが表現していたデザインは「単なる皮肉にユーモアを加えたものではなく、その当時の現状を解説していた」と賞賛を送っています。

ビンテージアーカイブを収集することは彼にとってある種ファッションの勉強であり、そのアイテムの構造を研究することで多くのことを学んできました。そしてこれからはビンテージを買い集めるだけでなく、MOSCHINOでの自身の作品が未来のアーカイブになる使命も担っています。

貴重なアーカイブコレクション

業界内でも屈指のビンテージコレクターのアピオラッザ氏は、2週間ごとのペースでアーカイブに追加する価値あるビンテージ作品を探します。

「Vivienne Westwood」、「ANN DEMEULEMEESTER」、自身も右腕として働いていたフィービー・ファイロ時代の「Chloe」。非常に高価な価格が付けられている「Maison Margiela」の初期作品など、コレクターになるきっかけとなった日本ブランド以外も多数所持しています。また「Jean Paul GAULTIER」に関しては約2000点もの作品があり、広大なアパートで保管されています。

貴重なアーカイブコレクション
出典 instagram.com

ブランド・スタイル別に几帳面に整頓されており、鑑賞するだけでなく実際に身に付けて出かける日もあると言います。お気に入りはYohji Yamamotoのスーツ。水で濡れているようなデザインが施されていて、雨の日に選ぶことが多いそう。「傘忘れたの?」と思わず声をかけられる、ユーモア溢れるスタイリングをファッションに取り入れています。

また所持している貴重な作品として彼が挙げたのが、Comme des Garconsが1997年SSに発表した「Body Meets Dress, Dress Meets Body」です。

通称「こぶドレス」。その名にあるように、ギンガムチェック柄があしらわれたストレッチ素材の下に「こぶ」が装飾されています。とても歪なシルエットをしていて、不気味な印象さえも与えるそのドレスは賛否両論の評価を受けました。こぶドレスの生みの親、川久保怜氏は社内でも多くのスタッフを困惑させてしまったそうで「制作をするスタッフ以外に見せた時はみんな無言だった」と語るほど。

長い年月をかけ、このような魅力溢れる何千点にも及ぶ彼のコレクションは、自身の満足のために保管されている訳ではありません。新たに発足した事業によって多くの人の注目を集めることになります。

20AGE ARCHIVE

アピオラッザ氏のパートナーであるライアン・ベナサーと共に「20AGE ARCHIVE」をスタート。この事業では2人が今までコレクションしてきた、様々なブランドのアーカイブを企業向けにリースしています。希少で歴史あるアイテムはとても需要があり、カルチャーマガジンである「AnOther Magazine」やファッションマガジン「SYSTEM」などからもレンタルされた経緯があります。

カニエ・ウェストやドレイクが着用したことでさらに人気に火がついた「RAF SIMONS」のアーカイブのように、20AGE ARCHIVEの顧客は音楽業界やスタイリストにも広がりを見せています。またエンターテイメント界隈だけでなく、現存する貴重な資料として美術館へのリースも行っています。

20AGE ARCHIVE
出典 wwd.com

「これほどの美しい作品たちが、ただ自分たちのクローゼットの中で眠っているだけなのは悲しい。展示会や雑誌のカバー、またデザインのインスピレーションのようなポジティブな目的に使用して欲しい」といった意思を述べていて、レンタル料金は約100〜300ユーロ/週(日本円で大体1万7千円〜5万円ほど)。容易に見つからないかつ高騰し続けているアーカイブアイテムが、この価格でレンタルできることは企業にとってもリーズナブルだと言えます。

20AGE ARCHIVEの展望として「今まで全財産をつぎ込んでアーカイブを集めてきた。それをリースすることで賄い、その利益で新たなアーカイブを購入し大きくしていきたい」と、まだまだ意欲的にコレクションし続けていく考えをインタビューで語りました。

まとめ

最後までお読みいただきありがとうございます。フィービー・ファイロとの出会いによりキャリアが一変し、数々の有名メゾンブランドでの実績のあるデザイナー「アードリアン・アピオラッザ」。そして、世界屈指のアーカイブコレクターの1人としても有名で、アピオラッザ氏のユニークかつ豊かな経験と創造性、そしてエネルギーと熱意に満ちた個性から生み出される新生MOSCHINOにも注目していきたいです。

モードスケープではMOSCHINOの買取を強化しています。アイテムの価値を適正に反映し、最高額を見出す査定をいたします。MOSCHINOのアイテムを売りに出すか迷っている場合にも、是非モードスケープにご相談下さい。とりあえず値段だけ聞いて検討したいという場合は、LINE査定などで査定額を見積もることも可能です。お気軽にご相談ください。

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この記事を書いた人

小川剛司 (MODESCAPE 編集部)

ライター・ファッションモデル。学生時代のアルバイトからファッションの世界へ。大手セレクトショップの販売員、ECスタッフを経て、長年携わったアパレルの経験と知識を活かしWEBライターに。数々のファッションマガジンサイトで執筆を行い、メンズ・レディース問わずおしゃれを発信しています。現在は韓国を拠点にモデル活動しており、更なるファッション知識を探求中! Instagram:@t_t_k_k_s_s

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