ファッション界の反逆児アレキサンダー・マックイーンの人物像
類い希なる芸術的センスで一世を風靡したイギリスのファッションデザイナーアレキサンダー・マックイーン。自身の名を冠したブランドALEXANDER MCQUEENはその唯一無二の世界観で世界中のファッショニスタから高く評価され、モードファッションを代表するブランドとして知られています。
この記事ではアレキサンダー・マックイーンの人物像・経歴を探り、その芸術センスが体現されたアイテムの魅力を解説していきます。
「モード界の反逆児」デザイナーアレキサンダー・マックイーン
出典 vogue.co.jp
アレキサンダー・マックイーンは、前衛的なデザインと独創的なショーでファッション界に革新をもたらしたデザイナーです。彼はアートや文学に深い造詣を持ち、その影響を受けた独自の美学とダークな世界観で多くのアイコニックなコレクションを発表しました。
ここでは、マックイーン氏の経歴からその世界観を紐解いていきましょう。
弱冠23歳で自身の名を冠したシグネイチャーブランド「ALEXANDER MCQUEEN」を創立。
ALEXANDER MCQUEENは、1992年にアレキサンダー・マックイーンによって設立されたラグジュアリーブランドです。イギリス・ロンドンを拠点としており、アパレルからバッグ、アクセサリー、シューズ、ジュエリーまで幅広いアイテムを展開しています。
ALEXANDER MCQUEENの特徴は、前衛的でアーティスティックなデザインに、繊細で伝統的なテーラード技術が見事に融合している点です。特に、アイコニックなスカルモチーフや複雑なカッティングが施されたウェア、そして気品あるデザインのスニーカーなどが多くのファッショニスタやセレブリティから支持されています。ブランドの創設者であるアレキサンダー・マックイーンは、ファッション界において独自の視点と卓越した技術で革命を起こし、その遺産は今もなお継承されています。
生い立ち、デザイナーになるまで
アレキサンダー・マックイーンは1969年、ロンドンでタクシー運転手の父と教師の母のもとに六人兄弟の末っ子として生まれました。幼少期から女性の服装に強い興味を持ち、姉たちのために服を作りながら洋裁の技術を身につけていきました。
学生時代のマックイーン氏は、家庭科の授業で基本的な縫製技術を学び、この時にはすでにデザイナーになることを夢見ていました。16歳で高校を中退した彼は、母親と深夜番組を見ている際に高級紳士服店が集まるサヴィル・ロウの深刻な人手不足について知り、この通りで働くことを決意します。その後、Anderson & SheppardやGieves & Hawkesなどの名門テーラーでアシスタントとして働き、縫製の腕を磨きました。
その後、舞台衣装を手がけるAngels & Bermansに勤め、異なるパターンカッティングの手法を習得します。さらにKoji TatsunoやミラノのRomeo Gigliを経て、イギリスの名門ファッション学校であるセントラル・セント・マーチンズに入学。
1992年に発表した「切り裂きジャック」をテーマにした卒業制作がファッションエディターのイザベラ・ブロウの目に留まり、Vogue誌に紹介されたことが彼のキャリアの大きな転機となりました。この作品をきっかけにファッション業界から注目を集め、彼のデザイナーとしての道が開かれたのです。
デザイナーとしての活躍
アレキサンダー・マックイーンは、1992年にセントラル・セント・マーチンズを卒業すると同時にロンドンで自身のブランドを設立しました。翌年、ロンドン ファッションウィークでランウェイデビューを果たし、初のショーではマーティン・スコセッシ監督作品『タクシードライバー』にインスパイアされたコレクションを発表しました。この時に発表されたヒップが見えるほどのローライズパンツ、いわゆる「バムスター」パンツは、90年代のトレンドを作り出し、一世を風靡しました。
マックイーン氏は瞬く間にファッション界の寵児となり、1996年には27歳という若さでパリの老舗クチュールメゾン、ジバンシィのデザイナーに抜擢されました。労働者階級出身の彼は、ファーストコレクションでロゴの「G」から着想を得たギリシャをテーマに、テーラードの技術と前衛的な美を融合させ、保守的なパリのモードに新しい風を吹き込みました。
また、2000年には当時のグッチグループに過半数株を売却し、現在のケリンググループ傘下に入りました。2002年にはパリ ファッションウィークにもデビューし、ブランドとしての地位を確立しました。そして、彼は34 歳で大英帝国勲章を授与され、「ブリティッシュ・デザイナー・オブ・ザ・イヤー」を4度受賞するなどデザイナーとして輝かしい成果を挙げます。
突然の死
アレキサンダー・マックイーンは、2010年2月に40歳の若さで急逝しました。彼の死因は自死であり、その背景にはデザイナーとしての重責とプレッシャーが大きく影響していたとされています。
彼はファッション界において非常に高い評価を受け、その期待に応え続けることが常に求められていました。また、彼の才能を最初に見出してくれた恩人であり、良き友人でもあったイザベラ・ブロウの急逝も大きな痛手となりました。さらに、母親の死も重なり、彼の心に深い悲しみと孤独感をもたらしました。
これらの要因が重なり、彼は自ら命を絶つという悲劇的な選択をしました。彼の突然の死は、ファッション界に大きな衝撃を与え、多くの人々がその才能を惜しみました。しかし、彼の死後もAlexander McQueenブランドは存続し続けています。
ファッション界の歴史に残るダークなコレクション
アレキサンダー・マックイーンは、アートや文学に深い造詣を持ち、その影響をアイテムやコレクションに反映させました。彼のコレクションは過激なテーマが多く、賛否両論を巻き起こし物議を醸すこともありましたが、美しくダークな世界観は高く評価され、ファッション界の歴史に残るものとなりました。
ここでは、特に印象深い4つのコレクションと共にALEXANDER MCQUEENの世界観を見ていきます。
1995年秋冬コレクション「Highland Rape」
出典 metmuseum.org
1995年秋冬コレクション「Highland Rape」は、アレキサンダー・マックイーンがイギリスによるスコットランド侵略行為を批判するテーマで発表したものです。マックイーン氏自身のスコットランド人の祖先から着想を得たこのコレクションでは、モデルたちが引き裂かれたレースやタータンの服をまとい、胸や尻が露出するデザインでランウェイを歩きました。モデルたちは苦悩の表情を浮かべ、ふらふらと歩く姿はの直後を思わせるものでした。
この演出は「暴力的」「女性嫌悪」と批判されましたが、マックイーン氏はスコットランドの歴史を表現し、女性を強い存在として描きたかったと説明しています。彼は過去に姉と自分が家庭内暴力を受けた経験を告白し、「女性に力を与えたい」と語りました。このコレクションは、マックイーン氏を一躍有名にした一方で、ファッション界に大きな議論を巻き起こしました。
1999年春夏コレクション「No. 13」
出典 anothermag.com
1999年春夏コレクション「No. 13」は、アレキサンダー・マックイーンがスタンリー・キューブリック監督の映画『シャイニング』から着想を得た作品です。複雑な刺繍を施された軽やかな服が登場し、これまでのダークでエッジィなスタイルにオートクチュールの完成度とロマンスが加わりました。
特に印象的なのは、楡の木で作られた義足を装着したモデルのエイミー・マランスの登場と、フィナーレでのパフォーマンスです。シャローム・ハーロウが真っ白なドレスを着てランウェイに立つ中、2体のロボットがスプレーペイントを施すシーンは、ファッション史上でもっとも印象に残る瞬間の一つとされています。
2001年春夏コレクション「Voss(ヴォス)」
出典 fashionstudiesjournal.org
2001年春夏コレクション「Voss(ヴォス)」では、アレキサンダー・マックイーンはランウェイをガラス張りの病室へと変えました。ケイト・モスは出口を探す患者のように登場し、その演出は不安と閉塞感を強調しました。
また、ガラスボックスの中の長椅子には、呼吸用チューブの付いたマスクを被ったヌードの作家ミッチェル・オリーが横たわり、観客に強烈な印象を与えました。このコレクションは、マックイーン氏の革新性と挑発的な美学を象徴しています。
2010年春夏コレクション「Plato’s Atlanti(プラトンのアトランティス)」
出典 typepad.com
2010年春夏コレクション「Plato’s Atlantis(プラトンのアトランティス)」は、アレキサンダー・マックイーンが未来の進化と地球温暖化による水没をテーマに描いた壮大なビジョンです。ショーはデジタル技術を駆使し、幻想的な海底世界を舞台にしました。
モデルたちは、ヒールの高い「アームアディロ」シューズを履き、エキゾチックな魚や爬虫類を思わせるプリントの衣装を纏いました。自然とテクノロジーの融合が織りなす、未来の人類の姿を探求したこのコレクションは、マックイーン氏の革新性と美的探求を象徴するものでした。
アレキサンダー・マックイーンの芸術性が体現されたアイテム
ALEXANDER MCQUEENの定番アイテムは、卓越したデザインと品質で多くのファッション愛好者に支持されています。スカルモチーフをあしらったスカーフや、シャープなシルエットが魅力のテーラードジャケット、そして独創的なデザインのドレスなど、どれもブランドの芸術的センスとテーラード技術の高さを感じさせます。これらのアイテムは、マックイーン氏の独自の美学を体現し、日常に取り入れることで洗練されたスタイルを楽しむことができます。
スカルモチーフアイテム
スカルモチーフアイテムは、ALEXANDER MCQUEENのアイコン的なアイテムです。マックイーン氏は「死」や「暗黒面」にも価値を見出し、その象徴としてスカルモチーフを生み出しました。当時、主流だった“綺麗”なファッションに対して、このモチーフは異彩を放ち、ファッション界に新たな視点をもたらしました。特にスカーフやストールといった小物に用いられ、高い人気を博しています。
スカルモチーフは今や広く認知されていますが、その始まりにはマックイーン氏の独自の視点と創造力がありました。
テーラードジャケット
ALEXANDER MCQUEENのテーラードジャケットは、マックイーン氏の芸術的センスと世界観が見事に体現されたアイテムです。マックイーン氏が高級紳士服店サヴィル・ロウで培った高度なテーラード技術が反映されています。彼のジャケットは、メンズテーラードを巧みにウィメンズに落とし込み、直線的でシャープなショルダーラインと美しいウエストラインを特徴としています。これにより、強くしなやかな女性像を演出し、着る人に自信と気品を与えます。
ドレス
ALEXANDER MCQUEENのドレスは、マックイーン氏ならではの複雑なパターンと構築的なシルエットが特徴で、一着は持っておきたいアイテムです。彼のドレスは、モダンな素材を用いながらも中世のドレスのようなエレガントなラインを実現しており、その仕立ての精巧さが際立っています。これにより、日常のちょっとしたお出かけにもぴったりと馴染むリアルなセンスが光ります。
Four Ring バッグ
ALEXANDER MCQUEENの「Four Ring バッグ」は、印象的なナックルダスター風ハンドルが特徴です。指を通すと4つのリングをはめているように見えるデザインが、一目でブランドのアバンギャルドで反骨的な精神を伝えます。このアイコンバッグは、クラッチから使いやすいサッチェル型まで幅広いモデルが展開されており、様々なスタイルにマッチします。
まとめ
最後までお読みいただきありがとうございました。
たぐいまれなる芸術性とダークなセンスでファッション界の歴史に名を残したアレキサンダー・マックイーン。彼の意志と芸術性は現在も引き継がれ、今後も唯一無二の存在としてファッション界で輝き続けていくことでしょう。
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この記事を書いた人
MODESCAPE
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